徒 然  

       日々の思いなどを綴っています          

街の風景

  

  たまに買い物などで通っている街中
 路地裏も静かで好きなんですよね。


ここバル酒場PaPico店で11月に潟コンが開催されます。
潟コンとは誰でも自由に参加できる街の活性化
イベントです。参加する予定です。


それにしても台風が心配ですね。

秋思

秋といえば物寂しくて、物思いにふけりがちだ。
日々家事や雑事に追われる毎日だが、私の好きな秋の季節が
来ると昔の懐かしい思い出にふけってしまう。


今では思い出になった人、懐かしい人達。
元気でいるだろうか?
こんなにも胸を揺すぶられるのは何故でしょうか。
季節は巡り過ぎ去った日々は、私をこんなにも優しく切なく
するのです。

あたりまえ


「あたりまえ」


あたりまえ、こんなすばらしいことを、みんなは何故
よろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手を伸ばせばなんでもとれる


音が聞こえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべれる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる


空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走り回れる
みんなあたりまえのこと
こんな素晴らしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失った人たちだけ
なぜでしょう


 「井村和清」
1947年、富山県生まれ。日大医学部卒業後、沖縄県立中部病院を経て、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務。1977年11月、右膝に悪性腫瘍が発見され、右脚を切断。半年後に職場に復帰したが、まもなく肺への転移が見つかる。自ら「余命六カ月」と診断し、懸命の闘病生活を送りつつ、死の一カ月前まで医療活動に従事。周囲の願いもむなしく、1979年1月、長女・飛鳥を遺し、次女・清子の誕生を目にすることなく逝去


久しぶりに再読みしました。
また泣かされた。まだ若いのにどんなにか無念だったでしょう。