徒 然  

       日々の思いなどを綴っています          

あたりまえ


「あたりまえ」


あたりまえ、こんなすばらしいことを、みんなは何故
よろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手を伸ばせばなんでもとれる


音が聞こえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべれる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる


空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走り回れる
みんなあたりまえのこと
こんな素晴らしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失った人たちだけ
なぜでしょう


 「井村和清」
1947年、富山県生まれ。日大医学部卒業後、沖縄県立中部病院を経て、岸和田徳洲会病院に内科医として勤務。1977年11月、右膝に悪性腫瘍が発見され、右脚を切断。半年後に職場に復帰したが、まもなく肺への転移が見つかる。自ら「余命六カ月」と診断し、懸命の闘病生活を送りつつ、死の一カ月前まで医療活動に従事。周囲の願いもむなしく、1979年1月、長女・飛鳥を遺し、次女・清子の誕生を目にすることなく逝去


久しぶりに再読みしました。
また泣かされた。まだ若いのにどんなにか無念だったでしょう。